動作化

4月も中旬になると、活動が始まり、自分のような立場でも、講演や原稿書きの依頼が入ってくる。それは、嬉しいことで、まだ忘れられていないのか、と安堵する気持ちがある。自分のような年齢になると、正直な気持ちである。今週にある講演のために、資料を準備していた。GIGAスクール構想で、1人1台のタブレットが配置されているので、ある県の委員会があって、昨年から何回かの会議に出席して、その会議毎に、コメントや総括や講演をする。時間もまちまちで、60分が多いが、中には90分という長時間もある。画面に資料を提示しながら、参加者に飽きさせないプレゼンは、誰であっても、かなり難しい、しかも、年に4回程度でも、毎回違う内容にするのは、かなり至難で、そして、2年目の年度がやってきた。そうか、これは良いチャンスだ、しっかり勉強しよう、と、正直に思っていて、なんとか県教委に見放されないように、もがいている。実際、素晴らしいチャンスなのだ、その度に、多くの気付きがある。昨日は、午前に都心に行って、3つの対面の会議や打ち合わせに出て、帰宅してからオンライン会議に参加したから、忙しかった。そんな中でも、電車の中で読んだ、ある報告書に心惹かれた内容があった。そうか、そうだったのか、と思わず膝をたたきたくなるような気付きであり、自分には、小さな発見とでも呼びたくなる。そんな瞬間に出会うと、世の中が明るく見えたり、脳が若返るような気がする。例えば、英語の苦手な中学生がいて、何かにつけて引っ込みがちであったが、ある時、ネイティブのALTが入ってきて、グループ毎に、演劇スタイルで、英会話をさせた。始めは、口ごもって、恥ずかしそうにしていたが、それは、この生徒だけではなく、全員が同じだったが、やがてそれなりに英語が出てきて、I’m sorryなどは、無意識的に手振りも添えて、自然に話せるようになったと言う。後で、あれは何だったろうか、と振り返り、その後は、何かにつけて、自信を持つようになったというエピソードがある。それをふと思い出して、タブレットの操作は、指で操作するのだが、それには、見ているだけ、聞いているだけではなく、操作するという動作化が伴っている。これは、動作化認知と呼ばれたりするが、物事を理解しやすくしたり、共感したりする上で、効果的なのである。身振り手振りという動作化が伴うことによって、脳がより活性化し、さらに、相手の気持ちを察することもできる。国語の読解では、この動作化の導入で、より深く感じ取ることができたという実践もある。昨日の新聞に、風車嬉しい時はよくまわる(高橋広子)の俳句があった。嬉しいという感情があると、よく回るのか、よく回るから嬉しいのか、2つの説があるが、それは、劇のように動作をすると、あまり恥ずかしくなくなって、英語を話せるのか、英語を話せるようになったから、身振り手振りの動作が出てくるようになったのか、それはどちらでも良いだろう。子供が自信を持ち、前向きになることが、学習効果を産みだしている。そのきっかけが、動作化なのだろう。などと考えていたら、あっという間に時間が経った。気付くとは、光輝く宝物である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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