今は、6日水曜の夕方、実は、昨日伊東の温泉に一泊して、今日のお昼に帰宅して、旅の片付けをして、郵送などの仕事を終えて、ジョギングをして、お風呂に入って、今机に向かっている。あまり公開のブログで書きたくないが、温泉ホテルで、飲み放題で格安になる、というホテルマンの言葉に乗せられて、飲みすぎた、そのため前後不覚になるくらい酔っ払って、同伴した家内に迷惑をかけた。飲み過ぎは、後味が悪く、良い酒の飲み方は、前後も幸せな気持ちになるが、その正反対の症状になるから、何でも度を超すと、物事は逆転する。それは、自信過剰か、高を括るか、自分を過信することから生じるのだろう、この程度なら、大丈夫とか、自分なら、へまはしないとか、などの根拠があいまいのままで、実行するからである。分かっちゃいるけど、とつぶやきながら、飲み過ぎたりするのは、まあ庶民のレベルなら許されるが、一国の責任者では、そう簡単には済まされない。プーチンのような独裁者であれば、なおさら自分を過信し、それを止める人がいない、また聞く耳を持たない、それが、こんなはずではなかった、と思っても、自信過剰という悪魔は、ますます事態を泥沼に引きずりこんで、どうにも制御できなくなる。ゼレンスキー大統領にしても、自分を過信したのかもしれない、もっとNATOが援助してくれるはずだ、と、思っても、事態は進んでいき、もう後には戻れない。犠牲者は、いつの時代も、武器を持たない、女性や子供たちである。月曜の新聞に、この老に春などいらぬ戦場の児等に届けん食べ物着物(星野省)、の句があったが、誰も同じ気持ちだろう。子供たちが可哀そうでならない、なんとかならないのか、ロシア発信の情報では、ウクライナの攻撃だと真逆の宣伝をしているが、自分たちの同胞を、まして国や地球の宝である子供の命をどうして奪うのか、宣伝にしても、嘘が大きすぎる、それで世界が信じると思うのか、自分たちを過信するにも、程がある。この頃、ニュースを見ると、指導者とは何なのか、正常な神経を持っているのか、どこか狂っていないのか、と思ってしまう。人間とは、過信すると、何も見えず、何も聞こえず、そして、何も判断できない、つまり、すべての思考回路が止まってしまうようだ。誰もが思ったことを言い合う、それでようやく正常に近づいていく。