今日は火曜日、ブログは昨日書いたので、書く予定ではなかったが、今日は朝から雪が降って、3月下旬とは思えぬ寒さで、外出の予定を変更したので、夕方時間が空いた、有難い、と思って、キーボードに触れている。明日は、朝から都心に出かけ、夕方にもオンラインが入っているので、余裕はないが、今は、苦手な授業科目が休講になったようで、これで好きなことができるという、学生の心境に似ている。さて、何を書こうか、と思っても、それほど大したことはない。3月下旬は、片付けの時期で、書斎にある書棚、机の周囲にある書類、不要になった雑誌などを処分することにしている。一度にすべて大掃除するのは、疲れるので、週に2回、燃えるゴミの収集日に合わせて、少しずつ捨てているが、積み重ねている書類、雑誌、自分が書いた原稿など、読んでいると時間の浪費になるので、ノスタルジアを超えて、無慈悲に捨てる。名刺なども、お世話になった人、この名刺だけは大切に、と思っても、一度も用がないことが分かって、すべて廃棄にした。と言っても、ゴミ収集日に捨ててよいもの、クリーンセンターに持って行くもの、シュレッダーにかけるもの、などの弁別して、片付けた。一昨日は、机の周囲を囲んでいる書類棚についたゴミ跡を、きれいに掃除し、加湿器の水垢などもきれいにしたので、見違えるように、すっきりした。ゴミを捨てることは、脳に付着している不要な知識も捨てるような気がして、余分なものがないだけ、身も心も軽くなる。新聞に、こんな句があった。図書室へ全て返して卒業す(清正栄子)、なるほど、全て返すという言葉は、もう未練はない、ということか、新しく生まれ変わるということか、どこか決断のような思いが伝わってくる。ウクライナの事が頭をかすめる、市民への無差別攻撃に、どうしようもない怒りが湧いてくる、が、これ以上の犠牲者を出すのはどうなのか、いっそのこと、きれいさっぱりと、捨ててしまったらどうだろうか、多くの人の命を救える、という決断はできないか。しかし、ウクライナは、徹底抗戦すると宣言した。そうか、多くの人の命さえも、祖国の存続のためには、捨てるのか、そんなむごい決断もあるのか、と、異国にいる自分でさえ、どこか胸が締め付けられる。本当に、この世の中に、慈悲はないのか。