今は、水曜日の夕方、西空に日が落ちて、優しい光景が、書斎の窓から見える。いつも、このブログを書く時刻は夕方なので、似たような文章になるが、お許しいただきたい。3月は忙しい、いくつかの団体の役員をしているので、決算と予算の時期で、役員会があるので、出席しなければならない、そして、年度終わりなので、いろんなイベントも開催されるが、それが重なって、頭もよく使う。認知症防止には、最良の薬だろう。本当に有難いのだが、ボケーッとしている暇もなく、次々と仕事が入ってくる、それで、オンラインの場合は、そのURLが重要なので、忘れないように、googleカレンダーを用いているが、手帳と併用で、快適にこなせている。しかも、始まる10分か30分前にメールで知らせてくれて、スマホでは、その合図として音が出るので、見落としがない。そこまでやらないと、もし見落としたら、多くの関係者にご迷惑をかける。今日は以前に勤めていた大学の役員会で、栃木県に出かけ、帰宅して、すぐにオンラインのイベントに参加して、終わりの挨拶をして、今の時刻になった。頭を回転しないと役をこなせない、何かのイベントや役員会があれば、何かを話さなくてはならない、そのための情報を集める時間もないので、脳内のありったけの知識を思い出すしか手はないのだ。脳内ホルモンも分泌されているだろうが、例えば、出版原稿とか講演資料などは、意気込みが違うので、脳の活性度は、桁違いに高い。しかし、世間とは厳しいもので、それほど頑張っても、評価はたいしたことはない、あるいは、世間はソッポを向くような反応しか返ってこないことが多い。ウクライナの情勢が厳しい、このままだと、首都陥落も仕方ないのか、と素人ながら、諦めたり、なんとかならないのか、と神頼みしたり、ヤキモキしている。この世は、不条理に満ちている、努力や正義は実を結ばないのか、それなら、何のために、人は頑張るのだろうか。新聞から、こんな句が目に飛び込んだ。報われぬ努力もあると羽生選手孫にしあらねど胸しめつけらるる(山本美知子)、そうか、一流を極めた人は、さすがだ、何度、諦めようか、止めようか、と思い、自分を責める日が数えきれない程、あっただろう。その先に、自分ではどうにもならない世界があることを、知っている。ウクライナの人々も、もう限界かもしれない、勝利を信じつつも、その先は、誰も踏み込めない世界であって、もはや人知や努力を超えている。ただ、祈るしかないのか。