今は、土曜の夕方、ちょっと時間が空いてブログを書くにはぴったりで、書斎のパソコンに向かっている。足の骨折も完全に治癒して、以前の生活に戻った。が、あまり激しい運動は、意識して、また当然ながら、避けている。普通の生活ができること、それは、平凡ながら幸せなこと、そして嬉しいことである。今日は、スポーツジムから帰ったので、プールで泳ぎ、あまり公開したくないのだが、ジムにあるゴルフ練習場で、下手なクラブを振ってきた。というのも、下手を自認しているので、人前で練習するのも嫌なくらいだが、足の骨折以来、運動不足が続いて、なんとかしたいと思って、ゴルフなら足が固定されているからいいだろう、という都合の良い解釈をして、始めたのである。医者には内緒で、ギブスも寝る時は外していた、足が動かないのだからいいだろう、という自分流の理屈をつけたのだが、今は、すべて許される。いたずらっ子が、見つからないように、そっとするのが、今は、もう安心という気持ちに似ている。だから、今日は、ゴルフの練習とプールでの泳ぎで、もうドーパミンが脳内に散りばめられて、心身共に健康体になり、明日も良いことが起きそうな、映画の夕日の3丁目のような、安心感と、美味しい夕飯を楽しみにしているような気持になる。この年齢になると、こんな些細なことでも、有難味が増してくるから、人の世は面白い。昨日は、久し振りに霞が関の省庁に行って、省内の会議室で、対面会議に参加した、と言っても、委員の皆さんはオンラインなのだが、省庁関係者と数人だけは、初会合ということもあって、対面だったのだが、これも、昔の有識者会議に戻ったような気がして、というか、有識者会議だったのだが、どこか華やぐ気持ちになる。歳を取った、が、まだ仕事がある、足の怪我をした、が、治癒して昔に戻った、こんな時、人は、喜びが増幅される。それは、今あることの素晴らしさを実感するからだろう。今日は土曜で明日は日曜、明後日は、と当たり前だが、過ごせるのは、生きている証拠で、よほどの不幸が起きない限り、まだ楽しい日々が送れる。だが、突然の大病や事故に会ったらどうしよう、と恐れるのは、愚の骨頂、今の幸せを喜ばなければ、損だ。