今日は火曜日、今は夕方で、このブログを書いている、ということは、ゆとりの時間があるということなので、有難い。昨日は、相当に忙しくオンライン会議で1日が埋まった、今日も同じだが、SSHの審査が始まったので、緊張もする時間だった。週末までずっとSSHで忙しくなりそうだ。この2日間で感じることは、世の中には、優れた人が多くいる、という、平凡なことである。アメリカのカーネギーが、自分より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る、の言葉を、墓碑に刻んだのは有名だが、凡人にはなかなかできない。自分より偉いとか、優れているとか、賢いとか、口に出すのも、心の中でも、なかなか言えないが、この2日間、その通りだと実感した。偽りでも謙遜でもなく、ほとんどの人は、自分より優れている、正確には、会議で話す相手は、凄い人が多い。それが、たぶん、自分の表情とか、ふとした言葉に滲んでいるようで、どこか相手の表情が柔らかいような気がした。カーネギーほどの大実業家ならば、経営の基本として知っている、身についているだろう。大阪の門真市のパナソニック本社にある、松下幸之助館だったと思うが、その展示品に、似たような逸話が書いてあったような気がする。審査も同じで、審査する方が偉いのではなく、する方もされる方も、丁々発止のやり取りの中に、人それぞれの凄さを感じた。昨日も同じだったが、歳をとって、他人が優れて見えることは、嬉しいことなのである。卑下するのでも謙遜するのでもない、他人を真正に評価することであり、それは、若い頃は難しいのではないか、自分のことを前面に出したくなるので、それは、若者の特権でもあるが、それが、他人を、そのままではなく、色眼鏡をかけて見ているようなものなので、そこにバイアスがかかるからである。人を見るのも、年期が必要である。