ゆとりある生活

昨日は夕方にオンライン会議があって、ブログが書けなかった。昼間もオンライン会議だったので、時間が取れなかったので、お休みして、今日の夕方に書いている。このブログでもお断りしたように、時々休む、としているのは、大切なことである。早朝ブログを書いていた時は、ほとんど休んだことはなく、休むと罪悪感があったので、自分で自分を縛っていた。今は、違う、多少の義務感はあるが、むしろ自由な気持ちだ。振り返ってみれば、若い頃は、どうしても、とか、絶対に、とか、自分も他人も縛り付けていたように思う、直球しか知らない、それ以外は投球ではないような、まだまだ若い、としか言いようがない。歳を取って分かることは、世の中は、いろいろある、世間は広い、柔軟に、ゆとりを持って、その場に応じて、なるようになる、大変な困りごとはない、心配することのほとんどは自分で勝手に決めている、などである。今日は、そんな気持ちで1日を過ごしたが、それは勝手気儘に生きることではない、柔軟に対応することであるから、今日は昼間は忙しく、夕方まで余裕がなさそうだから、と思って、早朝にジョギングをした。これが柔軟な対応である。曇り空で小雨がちらつく天気だったが、その爽快感は忘れられない。お陰で、夕方の今、時間ができて、ブログを書いている。午前中に、審査系の仕事がようやく終わって、万歳を叫びたいような気持になり、昼間の用事も済んで、久し振りに夕食前に、小説を読めそうだ。余裕ができたので、こんな気持ちになるのか、柔軟な対応をしているので、余裕が出てくるのか、分からないが、いつもこんな気持ちでいたい。だが、世の常は難しく、いつ災難がやってくるかもしれないが、それまでは、ゆとりある生活をしよう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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