都心でのイベント

昨日は土曜日、と言っても、丸の内に仕事で出かけた。久しぶりに電車に乗って出かけると、どこか疲れる。たぶん、大勢の人に出会う、行き交う、駅の階段の上り下りをするなどの身体的な疲れもあるだろうが、対面だと気を遣うなどの精神的な面もあるだろう。ある団体の表彰式でオンラインで行うのだが、映像配信は大勢のプロが来て、まるでテレビスタジオのような印象で、それだけで圧倒された。自分は、少しコメントを言う程度だが、他の登場する人たちは、世間的な言葉では、一流と言われる人たちで、その言葉の随所に、本質を鋭く見抜いたような知的な言葉で飾られ、しかも相手への気遣いがあって、素晴らしいとしか、言いようがない。それに比べ、自分のコメントは、どこか幼稚に思え、いつしか自己肯定感の逆の、自己否定感のような気持になったようで、それが疲れの原因だろう。学校で学ぶ子供も、同じかもしれない、クラスで積極的に手を挙げる子供もいれば、自信がなく、答えてみても、大した内容ではなく、頼りない反応しか返ってこなかった子供もいるだろう。自分が、そのような立場に立つと、自信のない子供の心境が分かる、元気な子供を見たり、先生から、そんな些細なことは心配するな、と言われれば、ますます自分に自信が無くなるのだ。帰りの電車の中で、小説を読みながら、作品の中に出てくる人物が、いづれも人生に疲れ、家族に疲れ、希望が持てないのだが、それでも頑張ろうか、という心情に、どこか共鳴する。自分も、どちらかと言うと、行け行けドンドン、のタイプだが、周りから見ると、迷惑だと思っていた人も多いのかもしれない。世の中は、元気だけが、自信のあるだけが、良いのではなく、逆もまた、良いのかもしれない、そうでなければ、相手を理解することができないからだ、と思えば、昨日のことも、良い経験である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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