配慮すること

昨日は月曜日、週の始めなので、定例会議もあり、仕事が始まるという感覚がある。午前に、係りつけのクリニックに行って、先般受けた特定健診の結果を聞いた。結果は大きな変化もなく、まあまあだった、と言っても、コレステロールと体脂肪などが多く、アルコールと食事を減らさないと、と自戒した。数字で示されると、説得力があるので、意識が変わる、ということは、データに基づく政策決定は、やはり意味があるのか、と思い直した。午後は2つのオンライン会議だったが、2つ目の会議で、思い直したことがあった。自分は、どうも話過ぎ、前に出すぎ、自分の主張を言いすぎ、相手への配慮が欠ける、などと自省した。若い頃から研究については、上下の違い、身分の違い、男女や年齢の違いなど、すべて関係なく、優れているかどうか、正しいかどうか、だけで、議論してきたせいか、どうも、その性癖が抜けないようだ。会議のメンバーで、自分よりはるかに年下だが、尊敬する先生がいて、彼の発言を聞くと、一言でいうと、優しいのである。他人に対する優しさ、思いやり、心遣いが、隅々に感じられて、自分が、まだ精神的には、若造のような未熟さを、感じた。主張すべきは主張する、若いうちは、ただそれだけであるが、年齢を重ねると、それを超えて、相手への優しさが出てくる。自分は、まだ修行が足りない、意気込んで、相手を説得しようとし、論理的に説明して、という姿は、大人げない、と思ったのである。身体の健康も、心の健康も、意識して、改善に勤めなければいけない。スピードを上げすぎれば交通違反になって検挙されるように、ブレーキをかけて、自分を制御することも必要だ。自分は、行け行けドンドンが好きなようで、周りへの配慮が不足している。この世を生きていくには、進むと止まる、アクセルとブレーキ、自信と謙虚、表と裏、光と影のように、両方をうまく使いわけて、制限スピード内で運転することが必要なのか、でも、あまり深刻になることは、ない、努力すれば、相手も分かってくれるだろう、と気楽に考えるが、これは良いことなのか、反省すべきことなのか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。