短編を読む

昨日は土曜日、オンライン会議はない、少し気を抜ける日だった。土日はスポーツジムに行く日だが、木曜日までメインテナンスで5日間休館だったせいか、かなり密な状態だった。夕方帰宅して、シャワーを浴び、さっぱりして、夕食までの15分から30分位の間が、一番リラックスする時間である。この時間に、小説など肩の凝らない本を読むのが楽しみになっている。昨日は、重松清のビタミンFの小説を読み終えた、中でも、セッちゃんの短編が珠玉の作品だった。中学3年生の一人娘を持つ3人家族の平凡な、否むしろ親子仲の良い恵まれた家庭と言ってよいが、夕食時に、娘が学校のことを話す。セッちゃん、という転校生が来たのよ、でもクラスの女生徒たち全員に嫌われてね、体育祭でやる創作ダンスの練習だけど、その振り付けが変わったんだけど、セッちゃんには知らせなかったのよ、だから、セッちゃんは、周りを見て、1人だけテンポが遅れて、その恰好がおかしくて、全員が笑って眺めていたけど、可哀そうなんだよ、という会話から始まるのだが、体育祭に出かけて、初めて、そのセッちゃんが、自分の娘であることを知る。体育祭には絶対に来ないで、という娘の願いは、これだったのか、1人だけ周りから浮いて、きょろきょろしながら、必死で皆に追い付いていこうとする娘のダンスを見て、涙が止まらなかった。親子の間に、微妙な空気が出てくるが、父親は、ふと小さな店で流し雛を買う、この人形に願いを込めて川に流せば、病気も苦しみも流れてしまう、という言い伝えにすがってみようかと思って、親子3人で川に行く、その時、親子はすべてを知っている、知っているから、お互いが心を寄せ合うことができる、だが、その子は言う、でも現実は厳しいのよ、とまだ大人ではない思春期の子が必死でいじめに向かっている姿に、両親は何もできないもどかしさを感じる、という短編である。小説だから、創作しているのだが、作家の筆致の見事さに惹かれ、すべてリアルに感じて、しばらく、この子の健気さと両親の悲しみが伝わってきて、茫然となった。決して、いじめを許してはいけないのだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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