昨日も午前中は、ブログでも紹介した通り、科学教育のオンライン発表会に参加した。参加して良かった、得るところが多かった、面白い研究をしている、と感心した。ふと振り返る、先週に岡山で講演をして、受講の先生方に助けられた、とブログで書いたが、自分が受講生になってみて、そうか、どれだけ得るものがあったのか、どれだけ自分にとって役立つのか、が評価尺度になる、と当たり前のことを改めて思った。若い頃は、こんなことにも気が付かなかった、心の隅に、どうだ、このアイデアは、この手法は、この結果は、など、腕比べのような気持があった。確かに論文賞とか優秀賞などの表彰があるので、どれだけ優れているか、を競う場面もある。視聴者にとっても、つまらない発表はそっぽを向き、優れた発表には身を乗り出すようにして聞き、さらに興味深い発表には、質問までする、それは、そうせざるを得ないような気持ちになるからである。それは、優れたというエビデンスなのかもしれない、その上に、自分にとって役に立った、という尺度が加わると、自分事として受け入れることができる。なるほど、そうか、参考にしよう、それなら、少しこの考え方を取り入れてみよう、自分もやってみよう、など、自分がそこに参画する意欲が湧いてくる。昨日も一昨日も、視聴した発表は、そのような気持にさせた、だから、参加して良かったのである。テレビで、優れた作品を視聴する、ドラマであったり、ドキュメンタリーであったり、時代劇であったり、時に感動したり、なるほどと納得したりする、それと学会の研究発表も同じかもしれない。テレビドラマは、名優が演じた時、脚本が優れていた時、視聴者に内容を伝えることができるのだろうか、それと同じように、優れた研究は、優れた研究者、優れた研究の枠組みや研究上の問いなどに、規定されるのだろうか、さらに付け足して言えば、受け手に、どれだけ得るものを与えたのか、演劇のように、良かった、感動した、だけではなく、同じ研究者に対して、今後の研究に、どれだけ役立つのか、というお土産まで、必要なのかもしれない、研究とは、かなり奥深い。