自分を見る

昨日は、2つのオンライン会議があって、午前は予定していたが、午後は急に決めたが、仕事らしい仕事をした。この表現はわかりにくいが、研究は仕事ではなく、趣味とか好きなことをやっているだけ、という意識が強いので、こんな書き方をしている。多くの仕事は、人と人が協力しながら、助け合いながら、織りなす創作作品のようなものだから、その模様の美しさは、どの程度、お互いが内容や気持ちを共有しているかに、係っている。しかし、人の世は、なかなか難しく、ちょっとした気持ちのずれが、模様を歪にする。その時、たいていの人は、自分も含めて、相手のせいにし、相手の責任にすることが多く、それが、人間関係を複雑にして、出来あがりの組み紐の模様が、ゆがんでしまう。昨日、ふと思った、そうか、これは、他人事だと思っていたが、自分のことかもしれない、自分の本業は研究であって、その他の仕事は雑用に過ぎない、という長年の思い込みが、間違いだった、それは、職人芸を磨くのは、良いかもしれないが、1人だけで作品を作るなら許されるかもしれないが、団体や組織で事業を遂行し運営する場合は、それでは、傍観者であり責任放棄ではないか、と思って、考え直した。すると、少しづつ見えてくる、それは自分の姿であり、相手の言葉であり、受け止め方であり、世界の見え方である。教育工学の研究に、教師の見え、の研究分野がある、ベテランと初心者では、子供の見え方が、まったく異なる。初心者は、表面だけ見る、あるいは、ほとんど見えていない、ベテランは、深く見る、凝視する、本質を捉える、それをベースにして言葉掛けをする、と言うが、その通りである。自分は、自分の姿さえも見えていなかった、と自省したら、アイデアが浮かんできて、早速行動した。人は、誰でも欠点がある、そして、それは自分では、なかなか見えない、しかし見えたら、直ぐに対応すれば良いのだ、だから、人は救われるし、前向きになれる。会議が終わったら、口笛を吹きたくなった。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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