演歌を聞く

昨日は、日曜日、土日は同じ生活パターンで、午後は買い物や用事を済ませて、スポーツジムに行って健康維持に努めている。家内の用事で、車で西方向に行くと、車のラジオから音楽が流れてくる。聞き慣れた演歌であり、歌手と番組の司会者との会話が聞こえてくる、そうか、この時間は、高齢者向けなのか、今流行りの歌は、自分には合わない。古い時代の昭和の男には、演歌が似合う。演歌は、小さな酒場の片隅、幸せ薄い女性、どうにもならない運命など、相場が決まっていて、せつないメロディが、心の五線譜の旋律によく合う。成功物語とか天にも昇る喜びなどは、どうも演歌には馴染まないようで、別れとか寂しさなどが合うのは、どうしてだろう。誰でも幸せを求めているが、現実にはなかなかうまく行かない、また駄目だったか、など、誰でも、小さな苦悩を抱えて生きている。その気持ちを、演歌が代弁してくれるからだろうか、今の若い人たちは、どうだろうか、演歌などは見向きもしないだろうが、彼ら彼女らにも、古い人間と同じような苦悩もあるだろう、イヤホンにつないだ歌を聞いて、癒しを求めているのだろうか。若い頃の同僚や友達は、今はどうしているのか、コロナ禍で落ち込んでいないか、病気になっていないか、家族は元気か、それは、古い時代を生きてきたもの同士に分かち合える問いである。時代を生きるとは、その時の感じ方、価値観、倫理観など、すべてを身に付けることであり、新しい時代になっても、なかなかそこから抜け出すことはできない。時に古いと感じながらも、同窓会などでは、演歌を歌う世代だから、若い世代とは違う。つまり、世代間の異文化とも言えるわけで、その意味では、飛躍するが、介護問題、嫁姑問題、企業の上下関係など、すべてギャップがあって当然なのであろう。演歌も良し、新しい歌も、また受け入れる自分でありたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。