昨日は、オンライン会議はなく、対面の仕事があった。所沢市内の研究指定校での初回の会合で、密にならないように、会議室を透明版で仕切って、かつ距離をとっているので、大勢の先生方が入る訳にもいかず、2部屋に分散しての辞令交付と会議と、講演会であった。自分は、講演をしたのだが、久し振りの対面講演だと、どうも勝手が違う。オンライン講演に慣れると、オンラインのほうが日常で、対面のほうが非日常になるので、人とはすぐに慣れるものだと妙に感心したが、マスクをつけたままマイクに向かって話し、かつ別の部屋には、オンラインで転送しているようで、なにかちぐはぐな印象がある。学校文化は、どうしても対面から離れないようで、今でも学校への連絡はファックスか電話のようで、確かに自宅の固定電話に教育委員会から連絡がくるが、メールにしてもらいたいと思っても、すぐに返信がないので、逆に不安になる。先のブログでも書いたが、資料を作っていた時、どうもピンと来ないので、ほとんどを変えた、削除したり追加したりしたが、その資料を使っての講演であった。一番前の席の先生には少し申し訳ない気がするのは、スクリーンを映すために照明を暗くするので、眠気を誘うし、一番後ろの席は、スクリーンが小さくなって見えにくい、これなら、オンラインで、目の前にパソコン画面を置いて、視聴したほうがよほど見やすいのに、と思っても、対面が基本なので仕方がない。そして、思ったことは、やはり資料を変えて良かった、虫の知らせ、というか、何かおかしい、という直感が働いて、変えたのだが、先生方の反応が、変えた資料の講演の時は、メモが多くなる、表情が違っている、後でセンターの所長さんに聞いても、同じであった。まるで、鏡のように、こちらの気持ちが相手に通じている、なるほど、これは対面でしか分からない、小中学校では、子供たちの表情を見ながら授業をするので、対面文化になっていることに納得した。それにしても、資料準備の時、どうして変えようと思ったのだろうか、ドイツの著名な科学者が書いた名著、なぜ直感のほうが上手くいくのか、の本を書棚から引き出した、詳細は述べないが、直感の凄さは既に科学として証明されている。