昨日は、原稿を書かなければならないので、文献を探したり読んだりしたが、アッと言う間に時間が経つ。誰でも同感すると思うが、探し物をする時は、時間がすぐに無くなってしまう。昨日は、運が良かったのか、これだと思う論文がいくつかあった。こんな研究をしている人がいるのか、とか、自分が温めていたアイデアと同じで、さらに深く調べている人がいたのか、とか、そうだそうだ、とピンとくる論文があった。それは、タイトルだけではわからない、ただ、どこかピンとくるのだ。本でも同じで、ほとんどはamazonでの注文だが、中身は読んでみないと分からないが、これだ、という本と、当たりはずれの本がある。昨日、ある文章の検索をしていたのだが、ふとしたことで、その検索の仕方を見つけた。あまりにも他愛無いことなので書かないが、それでも発見したような気がして、嬉しくなる。また、スマホを触っていて、ふと見つけた文字入力と音声入力が便利で、嬉しくなったが、あまりにも小さなことなので、これも書かない。ただ、見つけることは、どこか不思議な気がする。アフォーダンスではないか、と思う。正確な記述ではないが、ギブソンの提唱だが、ノーマンの道具のアフォーダンスがよく知られているが、例えば、ドアのノブは回すようにアフォードしていると言う。つまり、人がドアのノブを回すという人の意志よりも、ドアの方から人にノブを回せと、メッセージを送っているという考えである。文献を見つけると書いたが、文献の方から、ここにいるよ、と引き付けられるような気がする。検索方法や文字入力の方法を見つけた、と言うより、引き付けられたという方が、何かピンとくる。自分は、有難いことに、今でも、原稿を書いたり本を出版したりさせてもらっているが、それは、この研究分野のお陰であり、優れた先生のお陰であるが、自分のようなぼんくらが、と思うと、それは多くの奇跡のような出会いがあったからだろう。世間的には、運命の糸に引きずられ、と文学的な表現がピッタリなのだが、それも、アフォーダンスのような気がする。何か、有難い。