昨日は朝8時からのオンライン会議であった。と言っても,傍聴程度なので、気が楽だった。超党派議連の会議で、主に国会議員と官僚の会議に、アドバイザーとしての参加だが、時間が限られているため、ほとんど発言の時間はない。ただ、議論は面白い。内容はここでは書かないが、いつも感心するのは、官僚、つまり文科省、経産省、総務省の課長クラスの説明と、国会議員からの質問に対する答弁の、そつのなさ、鋭さ、その論理的な発言である。頭が切れると言えば、その通りである。さらに凄いと思うのは、精神的なタフさである。早朝8時に始まるということは、その前に、議員会館に来ていること、そのためにかなり多くの資料を準備していること、その説明する時間も、文字通り秒単位と言っても良いくらいで、よくここまで対応できると、感心する。それが、いつも同じで、決してミスはしない。城に勤める武士と同じだろうと推測するが、日本はいろいろな問題があっても、優秀な官僚で保っていると言われるが、その通りだろう。官僚は一流、政治家は三流、学者も三流などと揶揄されるが、当たっている。欧米の政治家は、官僚と同じように、舌鋒も鋭く、先鋭的な言葉を発し、日本の官僚と似ているようだが、日本の政治家は、人間関係が難しく、忖度の世界のようで、鋭く見えて、白黒が混じった灰色の議論になって、結論が見えにくい。コロナ禍においては、なおさら政策決定が難しく、その影響が大きいので、舵取りが難しいのだろう。有識者と言われて会議に参加しているが、なんとなく発言するのが憚られるような気がして、何もお役に立てていないが、これも相手を忖度しているからかもしれない。ということは、コロナ禍における政策、それは医療だけでなく、教育もまた難しい選択を迫られるのは、科学のようなyesかnoなのかの決定論でいくのか、周囲の状況も勘案しながら、というぼかした墨絵の世界、つまり日本的な決定の仕方なのか、どちらかが問われているからだろう。日本人は、なかなか日本流を脱することは難しい。ただ、官僚のような責任感は、武士道を想起させるようで、この日本人らしさは、続けていただきたい。