昨日は日曜日、と言っても、コロナ禍にあっては、普段と変わらない。朝刊を見たら、脳科学者が、健康には運動と好奇心が欠かせない、と書いてあったが、その通りと誰でも分かる。とすると、学者は何の仕事をしているのか、常識で分かることを、時間をかけて証明しているのか、と思うこともあるが、特にそれは教育の世界で感じる。中教審や学習指導要領で述べていることは、ほとんど常識で分かることではないか、主体的対話的で深い学び、など教員を経験したものなら、直感的に分かるし、中でも深く学んでほしい、と思うから教材の工夫をしているのだ、と言ったら、たぶん教育学者に叱られるだろう。脳科学の場合は、運動をすると脳から、アドレナリンやドーパミンなどが分泌されて、前向きの考えにするからだ、と科学的な証拠があるので、なるほど、やはり専門家だと納得するので、常識的な忠告であっても有難いが、教育の場合はどうだろう。あまり科学的な根拠に基づいて、記載しているわけではなく、議論の末にまとめたものに過ぎない、どうせ10年経ったら変わるのだろう、と考えると、国の定めた基準をなんと軽く考えているのだ、と叱られるだろう。これは、難しい。幼児の育て方、子供のしつけ、若者の教育など、江戸の時代からやっている、何も科学的な根拠がなくても、それぞれの藩や家庭で独自に行ってきた、むしろ戦争時の軍事教育の方が誤っていた、ということは、国の定めた基準を鵜呑みにしたり、信奉したりするほうが、危険かもしれない、と書くと、危険思想の持ち主だと思われるだろう。自分は決して、学習指導用要領などの国の基準に反論をしているのではないが、科学とは基本的にすべての基準や制約から離れて考えることなので、自由に考える習性がついている。ただ、教育を科学で考えることが難しいとすれば、後は実践しかない、つまり経験則である。これは強力な根拠になるが、それだけでいいのか、と不安になる。教育は、科学なのか経験なのか、それとも国が英知を集めて議論して定めるもので、教員はそれに準じることなのか、うーん、難しい。