昨日は4月もまだ2日だから、例年だと暇になるはずだが、3つのオンライン会議があって、忙しかった。その内2つが重い会議である。仕事のことはブログでは書けないので、内容には触れないが、これから始める仕事は緊張と不安と楽しみが伴う。先が見えないし、どうなるか予測できない。新聞で連載しているファミレスの創業者の記事では、その事業の売り上げや店舗数は急カーブを描いて伸びていくが、徐々に業績が悪化していき、また投資をしたり銀行から借り入れたりしながら、持ち直して上昇していくが、また急落して、経営者の座を降りる、など、文字通り波乱万丈で、しかも金額が想像を超えているので、経営することの厳しさを、素人ながら感じて読んでいる。驚くのは、頂点を極めた人が、その座を降りても、新規事業を起こして、まだまだ引退はしないと、意気軒高なことである。人は、どこまで仕事に情熱を燃やすことができるのか、不思議な思いがする。外から見ると、もうそんな大借金までしなくていいではないか、老後を食べていければ十分ではないか、温泉でも入る生活にあこがれないのか、と思うが、経営者とはそういうものなのか、それは個人によるものなのか、分からない。しかし、先の重い会議での新事業では、いくつかのハードルがあって、それを乗り切らないと、これまでの努力も泡になるような印象があるので、先の経営者の事業と、規模は違っても、気持ち的には同じようだ。楽しみや意欲と緊張と不安は、裏腹の関係にあって、それが人を引き付けるのかもしれない。4月早々から、どこか武者震いしている自分に気付く。いいではないか、もし失敗しても大したことではないだろう、の気持ちと、緊張しながら慎重に、そして準備を怠らず事を進めていこう、という気持ちが入り混じっている。人は、どんな小さなことでも、新しいことは、緊張や不安とやる気と喜びを感じる。先のブログで書いたように、生きていることは、新しいことの連続だから、落ちこむことだけではなく、また楽しいことだけでもない、その両方の狭間を行き来しているようだ。