昨日は、午前中に資料作りがあって、なんとか形ができたレベルだが、それでも嬉しい。ここ数週間、そんな仕事をしている。はじめは、何かアイデア、コアのような形があって、それを元に粘土のような柔らかい素材で原形を作り、それに手を入れて外形にし、ヘラのような道具で整える、ようなイメージだが、昨日はまだ原形ができたような段階だ。まだ外形になっていない、というか、原形がいびつで、どうもしっくりしていない。昨日の自分と今日の自分は違うので、感じ方が変わってくる。そして、相手を意識して、相手によって、外形を変える必要もある。例えば、仕事の説明資料、講演の資料、セミナーの資料、出版や依頼原稿など、いろいろあるが、そのような仕事が自分は気に入っている。何か外から依頼があるごとに、資料を準備するが、その仕事が楽しく好きである。先に書いたように、子供が粘土細工をして、好きな形を作っているようなもので、どこか遊びに似ている。このように書くと、仕事は遊びではない、と言われそうだが、あまり区別はないだろう。昔、海外大学の教員が、研究室に滞在していたとき、研究と趣味の区別はない、と言ったら、ずいぶん気に入ったらしいが、研究者は、ほとんど同じ気持ちを持っているだろう。小さい時からの遊びや趣味を、そのまま大人になっても続けている人が研究者とも言えるから、あまり威張っていえる仕事ではない。研究しているのではなく、暇を見つけて、研究させてもらっている、と同僚と話したことを思い出す。午後はオンラインがあって勉強する予定だったが、時間調整が難しく、土曜なのでスポーツジムに行った。3月は土日が仕事で塞がって忙しいのだが、運動も大切なので、久しぶりのスポーツジムで、プールにも入って泳ぎの感覚を取り戻した。これも、健康維持とは言いながら、遊びか趣味と言ってもおかしくない。ということは、この世の中の仕事は、ほとんど遊びで満ちている、と言うと、たぶん多くの大人からお叱りを受けるだろうが、お許しいただきたい。