昨日は月曜日、オンラインの会議が2つあったが、朝食の前にメールをチェックするが、自分にとって都合の良い内容と悪い内容があることは当たり前である。都合の悪い内容は誰でも面白くなく、都合の良い内容は心が弾む、のは当然で、いつも良いことばかり起こることは、エントロピー増大の原理に反するので、あり得ない。ドラマか小説なら架空なので描けるが、と言っても、そんな意味のないことは面白くないので、読まないだろう。山あり谷あり、なので、小説もドラマも面白い、と分かっていても、そこが人間の弱さで、喜怒哀楽の感情の波に揉まれる。庶民とすれば、その波が小さい方が有難い。昨日の朝のメールでは、少し都合の悪い内容もあったので、うーん、と考えながら、1階の居間で朝食に向かった。炊き立てのご飯だったので、プーンと良い香りがする、炊き立てのご飯の時は、卵掛けにすることが我が家の約束で、家内が卵を割った黄身と白身がお椀の中に見える、今日は卵掛けか、と言って、湯気の出る味噌汁を啜りながら、美味しいご飯を、もったいないので、少しづつ頂いた。卵掛けご飯は、すぐに終わってしまうのが残念なので、味わいながらの食事になる。小さな幸せなのである。月曜日は新聞の歌壇の日で、上等と言いつつ朝餉寒卵(白木静子)、の句が偶然にあった。確かに高級料理や贅沢品ではないが、いつもより美味しい食材なので、少し上という意味で上等と表現していると思うと、作者に共鳴する。誰でも、同じような思いをしながら、嬉しい気持ちを味わい、時に都合の悪いことも乗り越えるのか、と思う。小さな幸せと小さな不幸が、さざ波のようにやってきて、時が過ぎていく。温かい湯気の出るご飯、味噌汁、漬物、で朝食をいただき、朝刊を読んで頬がゆるみ、2階に上がって仕事をし、平凡だが、これでいいのだ、これ以上の贅沢は要らない。