昨日は土曜日だったが、私用も含めてだが、忙しかった。と言っても、土日はスポーツジムに行って、健康維持を心掛けている。と同時に、体を動かすと気持ちが明るくなるからでもある。ランニングで汗をびっしょりかいて、2階のプールで軽く泳ぐのが自分のコースだが、昨日、珍しくプールで声をかけられた。きれいな泳ぎですね、と言われ、どぎまぎして、いいえ、我流なので、と言って、すぐに別れたが、お世辞だろうと思いながらも、泳ぎ、特に平泳ぎは、自分は下手だと思って、他の上手い人を見ることが多いので、正直に驚いた。クロールはなんとなく早い気がするので、おかしくなさそうだが、平泳ぎは他人より遅い気がして、引け目をもっていたからである。昨日のブログで書いたが、原稿を書いて、5回以上も修正して、しかも印刷までして、見つからなかった誤字があった。それは、小学2年生、の文字で、それまで、小学校2年と書くことが多かったので、生の文字を数字の後に入れなければ、という思いが強くあって、小学2生になっていたのだが、5回も見て気付かなかった。不思議な気がする。平泳ぎも同じかもしれない、そう自分で思い込んでいるだけかもしれない、そう言えば、平泳ぎで泳いでも、ほとんど疲れないし、息も荒くならないのは、むしろ自然な泳ぎなのかもしれない、と思うのは、他人に言われたからである。なるほど、誤字も泳ぎも、思い込みであり、他から見れば、そうではない、ということを考えば、振り返りや他との協調の意味が、理解できる。原稿を書いていて思うのは、最近話題のGIGAスクールのことである。どの学校にも、1人1台の端末が整備される、それはいいとして、本当に授業で使えるのか、埃をかぶらないのか、という心配は誰も持っている。これまでの経験からすれば、その懸念は自然だろうと思う。が、ひょっとして、それは、思い込みではないだろうか。コロナ禍で、在宅勤務になって、自分は新しい世界を経験し、快適に生活し、もう通勤の世界には戻れない、などと思うのは、自分の意識や認識が変わったからであろう。自分の原稿では、メンタルモデルが変わる、これまでの学校モデルを捨てよう、と書いたが、自分も納得できる気がする。