昨日は、原稿を午前中に書いて送信しようと思ったが、別件があって、そのままにして、昼食後に読んだら、いくつか気になる箇所が出てきて、修正して送信しようと思ったら、別件が出てきて、そのままにしておいた。午後にオンライン研究会があって、その後、今度はすぐに送信しようと思って、読み返したら、どうも文章のつながりがおかしいような気がして修正して、今度はきちんと印刷して読み返したら、さらに修正したほうがいい箇所に気が付いて、これで最後と思って、添付ファイルにして送信した。たぶん、5回か6回修正したのだと思う。何か、虫の知らせのような、何か気になる箇所があったのだと思う。昔、大学入試センター試験の頃だったと思うが、2人で試験監督をしていて、国語の問題だったが、相手の先生が、試験問題を開けた時、アッと小さな声を上げた。後で、あれは、何だったのか、と聞いたら、自分の本から引用された文章が試験問題になっている、と答えたので、さすが、と思ったことがある。彼は、文系ではなく、AIの専門家だったので、バリバリの理工系であるが、その文章は、予想されるように、論理的で明確なので、入試問題に適していたのかもしれない。彼が、原稿を書くと、数日寝かして、その後読み返すことにしている、そして、必ず修正箇所が見つかる、と言ったことを、思い出した。AIの研究者なので、頭脳明晰に違いないが、その先生にして、その場やその時では、間違いが起きる、必ず修正が出てくる、ということは、ほとんどの人は、勘違いや思い込みをして、そのまま活字になっているかもしれない、と思ったのである。このブログでも書いたが、人は、自分を取り巻く世界を、この世界は、物理的な実体だけでなく、抽象的な対象もすべて含むが、ある意味で誤解しながら理解しているのではないか、自分で、これが正しい、とか、これしかない、と思い込んでいるだけではないのか、つまり、世界の認識は思い込みなのかもしれない。とすれば、何回も修正して、少しでも、誤解を少なくして、自分の考えを表現するしかないのだろう。振り返ることや、謙虚さ、の大切さを実感する。