新しさとは

昨日は、午前にオンラインの打ち合わせがあったが、その他の時間で、自分の仕事や私的な用事を済ますことができた。15日月曜締め切りの原稿が、珍しく集中していて3編もあったが、その内2編を送ることができた。もちろん、1日で書けるわけではないので、何日かに分けて執筆していたのを昨日送ったのだが、何も遮るものがない青空のような気持になる。土日があれば、残りの1編は軽くできるという気持ちも、嬉しい。瀬戸内寂聴さんが、新聞かスマホかで語っていた、コロナ禍で説法も講演も無くなったが、出版社から原稿依頼が来ると、嬉しくてね、99歳になってもね、と言っていたが、凄い。原稿を書くチャンスがあるだけで、作家は生きていける。いつかテレビで、石原慎太郎さんが都知事を退いた時、島倉千代子さんの歌詞を引用して、つまんないのよ、何もかも、と心境を語っていたが、何か役職を引退すると、そのような気持ちになるようだ。その後、石原氏は、小説の執筆で復活したから、よほど才能がある人だろう。森喜朗さんは、今回の舌禍で、オリパラ組織委員長を引退したが、たぶん最後まで活動したかったのだろうが、今の役職にしがみついているようなら、世間が許さない。それは、引き際が美しくないからだ。しかし、ここからが言いたいことなのだが、寂聴さんや石原さんの生き方は、まだ大丈夫、まだ仕事ができる、ワクワクすることがある、と語っている。森さんも、きれいに引退して、また別の活動をすればいいのであって、未練がましいところが、日本人の美学に合わないのだ。と言いながら、ふと自分を振り返る。上記のような著名人とは違って、市井の人なのだが、どこか似た心情があって、原稿が書けるだけで嬉しい、完成すると心が青空になる、仕事の依頼が来ると、また別の世界が見えるかもしれないと期待する。一言でいえば、新しさ、と言ってもよい。前のブログでも書いたが、変わらぬものは大切で、どこか郷愁を誘うが、しかしそれだけであって、思い出すだけで前には進めない。新しさとは、前進するエンジンなのだ、だから、新しいことに、まだまだ取り組んでいきたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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