手帳を使う

昨日は、午前にオンラインで打ち合わせがあったが、祝日なので少し気が楽で、手帳を見たら床屋に行く日だった。予約制で時間が決まっているので、夕方床屋に行って、いつもの通りの散髪をお願いして、いつものように世間話を主人がする、それに相づちを打って、気楽な時間を過ごす。床屋とは、江戸の昔からこんな調子だったのか、と思うが、なにしろ身を任せていればいいのだから、ふわっとした気持ちになる。コロナ禍で、お客さんが減っていると言うので、飲食店なら分かるが床屋は関係ないでしょう、と言うと、いやいや、年配者が平日に来なくなって、と言う。確かに平日の昼間は、年配者が多いことは分かるが、減る理由が分からない、と言うと、以前は、例え自粛と言っても、所用で外に出かける、たまには温泉でも行ってくるなど、人に会うチャンスがあった、人に会えば、身綺麗にしたくなり、床屋も定期的に行くが、今は、巣ごもりだけになっているので、結局テレビの番人になっているのだ、と言う。散髪をする必要性がない、なるほど、人は必要がないものは何もしないのだ、という当たり前のことを思ったのだが、日本では高齢者が年毎に増加している現実から考えれば、その多くの人達が、散髪もせず、自宅にいるだけの生活になったら、人の行き来がなくなり、お金の流通がなくなり、どの店も人気がないことにつながり、つまり全体が活性化しないことになる。もちろん、科学を優先する、人の命を大切にすることに、異存はないが、人が生きていくこと、という最も大切なことを奪ってはいけない。このことは、国や医療の専門家の考えではなく、各自の心構えに依存するだろう。昨日、自分が床屋に行ったのは、手帳に日時が書いてあるからである。手帳に書くことは、自分で計画すること、オーバーに言えば、自分で生き方を決めること、時流に流されないこと、なすがままでないことである。自分は、手帳の他に、仕事をTo Doリストに書いて、毎朝パソコンの前に座ると、チェックしている。自分が、今日は何をすればいいのか、が分かる。それは、学校の時間割なのである。人は、時間をコントロールしながら生きると楽しいが、なすがままだと、つまらない生活になるだろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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