変わらないもの

昨日は講演の予定がキャンセルになっていたので、時間ができて、久しぶりに、たぶん半年以上になると思うが、新宿三井ビルの事務所に行った。昼食で、1年ぶりくらいと思うが、へぎ蕎麦が食べられる店に行った。注文は決まっていて、大盛ざる蕎麦で、それはへぎ蕎麦なので少し青味がかった色をして、新潟名物でもある。新宿に行く用事があったら、寄っていこう、と思っていたので、店の暖簾をくぐると、いらっしゃい、という声と共に、久しぶり、という声を聞いた。マスクをしていても、お客を覚えているのかと感心したが、へぎの四角い器に盛られて、海苔のふりかかった蕎麦の味は、昔と変わらなかった。かつて、新潟大学に毎年、それも年末に、集中講義で3日間くらい行った時、ほぼお昼はへぎ蕎麦だった、それくらいハマっていたので、懐かしの人に会えたような嬉しさがあった。オフィスに入ったら、人は少なくても、新宿の大きなビルだから、都会に来たという実感がある。自分の机すら、待ってくれていたか、という感慨があり、職場とはこういうものだった、と改めて思う。在宅勤務になって、ほぼ1年が経つと、それが当たり前になって、ずらりと並んだ壮観な机の集合を見ると、なんと密なのか、と思うと同時に、これが自然の姿なのだ、とも思う。何か遠い昔のような気がするが、今の自分は、自然の姿、在り方を忘れたかのようだ。自分だけではなく、在宅勤務でオンライン会議に慣れた人は、誰でも同じ思いかもしれない。昨日は、久しぶりに、小学生を、近所の小川の橋のたもとで見送った。朝8時頃、寒い気温だったが、その光景はいつもと変わらない。2つの集団登校だが、始めの集団は黙って通り、次の集団は、しょちゅう雑談をしている、よそ見をしている、しんがりの子はかなり遅れてついてくる、というか、時々小走りをして追い付く、その光景は、いつも変わらない、それで、ほっとする。変わらないものを見ると、人は安堵感を覚えるのだろうか、お昼の蕎麦、新宿のオフィスの机、小学生の登校風景、は、どこか郷愁がある。しかし、今は、別の世界でもある。世の中は、変わらないだけでは、生きていけないようだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。