昨日は午前中に、文科省関連のオンライン審査会があった。ブログでは書けないが、審査とは気を遣い、そして緊張もする仕事である。オンラインであっても、画面の向こうに見える審査を受ける人の言い方や表情や息づかいまで感じるようだ。ある意味では、真剣勝負なのだろう。審査する側は、逆に勉強させてもらっているので、準備に時間がかかる。相手は、どのような考えでいるのか、本当にこれでいいのか、と、書類を見ながら、相手と事前対話しているので、それを本番で確認する作業と言ってよい。やはりそうなのか、いや、これは自分の読みが浅かった、など、自分の能力が試されているのだ。年と共に、特に自分のような仕事をしている人は、審査することが多くなる。若い時や現役の時は、審査する側ではなく、審査される側であった。プレイヤーであって、マネージャではなかった。その時は、審査員は、遠い席にいて上から眺めているだけで、というある種の羨望と尊敬が入り混じった存在だったような気がする。しかし、実際にその場に立ってみると、何もすべて分かっているわけではなく、逆に教えてもらう、あるいは、プレイヤーを羨望と尊敬の目で見ているような気がする。自分も若かった頃は、神田川の歌詞にあるように、何も恐くなかった、まっしぐらに前を向いて走っていた、例え、それで挫折しても、起き上がる元気があった、今は、その若い人たちを外野席か審査員席から見る立場であって、若い人たちから元気をもらう立場なのだ、だから、若い人というよりも、現役の人には、今が素晴らしいのだよ、と声を高く言いたい。審査を受けている時が、最も輝いている時なのだ、もがいて、どうしようか、と必死で論文を書いている時が、思うように成績が伸びないが努力している高校生の時が、生徒にどう指導していけばいいのか、内面で苦しんでいながら、なんとか前に進もうとしている教師生活の時が、最も幸せな時なのだ。マネージャーになると、若い頃の経験があるので、まだそのプレイヤーの楽しかった気持ちが忘れず、生涯現役でいたい、と願うようになる。