さざ波のような生き方

昨日のブログは、NHK朝ドラの批評を書いたが、別に番組の質を言ったのではなく、俳優が凄いプロなので、自分も感情移入したからだろう。昨日は見まいと思ったが、昼食の時間、外を見ると、みぞれまじりの雨だったので、そのまま朝ドラを見た。父親は、娘が床にばらまいた小銭を拾う哀れな姿であったが、演技とは言え、俳優は役どころを押さえて、現実もさもありなん、と思わせる。番組では、映画会社の俳優も脚本家も、誰にも分ってもらえない苦しさを抱えて、もがいているシーンを放映していたが、その通りかもしれない、と視聴者の共感を引き出す。物語は、大阪の実話の俳優をモデルにしているので、たぶんこの通りだろう、この苦境から脱して、やがて大女優か大役者になる、その一生を描くのだろう。その物語は、市井の人の生き方とは、世界が違う。自分の周りに、博打うちはいないし、親が子供の金を盗む人もいないし、芸能人もいないし、ごく平凡な生き方をしている。本当かどうか分からないが、芸能系の人達は、極貧の生活や家庭も複雑で、という苦しい境遇から脱して、今の世界で成功したという、ゴシップ記事が多いようだ。そして大成功した後の晩年は、また貧しい生活やおかしな家庭も少なくない、ようだ。読者が読みたくなる記事を書くゴシップなのだから、すべてではないが芸能人の一面を物語っている。いわば、大きな幸せと大きな不幸の波をかぶって生きている。これに対して、一般の市民は、小さな喜びと小さな問題を抱えながら、愚痴も言うが喜びもある、生き方であろう。どちらが良いのだろうか、大きな波とさざ波の、どちらが楽しいのか、人によるだろうが、自分は昨日のブログで書いたように、平凡な生き方が好きである。昨日、所沢市教育委員会から、教育功労賞の賞状と副賞が郵送で届いた。対面の表彰式ができないからだが、副賞は、好きな品を注文できるので、家内が、新潟のコシヒカリを注文して、これで美味しいご飯が食べられる、と喜んだ。小さな喜びとはこのようなもので、庶民は、これで十分満足できる。午後のオンライン会議の後、外を見たら大きなボタン雪が降っている、会議中は夢中で気が付かなかったが、今年の初雪である。どこか、子供のように嬉しさを覚える。自分は、さざ波のような生き方が良い。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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