教育の仕事とは

昨日は、午前はいつもの通り自分の仕事をし、午後は2つのオンライン会議に参加した。誰でも同じだと思うが、仕事には、いくつかの山があって、ある山を越すと次の山に登るのに時間がかかるのは、脳に余韻が残っているからで、その余韻に浸っていると心地良いので、揺りかごにしばらく揺られていたいからだろう。最初の1ページが大切で、昨日は、何故かすっと入って、気が付くと夢中になっている自分に気が付いた。分析の仕事なのだが、自分で勝手に壁を作っていて、たぶん駄目だろうという先入観が初めの一歩の邪魔をする。しかし、現実はそんなことはないのだ、難しくしているのは、自分であって現実ではないのだが、そこに気付くのに、時間が掛かっている。仕事がスムーズだと、口笛を吹きたくなるような気がするから、人間は単純にできている。午後のオンラインの教育に関わる会議やセミナーは、参加者全員が善意に満ちているようで、気遣いや発言に癒される。池井戸潤の小説は面白いので、かなり読んだが、半沢直樹の銀行物語は勧善懲悪の世界で、だからワクワクしながら読めるし、番組を見ても面白く、最後の倍返しで、胸がスッとして快感を覚える。しかし、現実にはないだろう。企業の世界と教育の世界は、どうも違うような気がする。教育は、全員が、子供たちを良くしたい、という自分以外の他に役立つことが前提になっていて、自分の利益という概念がほとんどないと言ってもよい。だから善意の集団で会議をしているような気がして、そして、この人は一点の曇りもなく子供に役立つこと考え、仕事をしているのか、と感じることがある。それに引きかえ、午前に自分がした仕事は、どうも自己満足にしか過ぎないのではないか、と振り返った。いやいや、そうではない、いろいろな仕事があって、直接に役立つこともあれば間接に役立つこともある、と思って安心したのだが、それは、田中角栄の、カゴに乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、の言葉を思い出したからである。自分は、草鞋を作る仕事をしている。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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