昨日は、日本医科大学付属病院に行って、昨年12月に検査をした結果を医師から伺った。検査ではCTスキャンや骨密度の測定などで、時間がかかったが、診断結果は異常なしで、ホッとした。骨密度などはむしろ標準よりも高い数値で、有難い結果である。数年にわたる血液検査データから、副甲状腺についての疑いがあったらしい。入院や大きな病気をしたことがないので、健康に過信していたが、改めてその大切さを思う。癌や脳梗塞など、先輩や同窓生では頻繁に聞くので、むしろ大病を経験するほうが普通かもしれない。自分もいつ倒れるか、両親は、脳梗塞や脳血栓などで入院した、そして認知症になった、ことを思えば、自分にもその遺伝子は流れているだろう。細胞が衰える老化現象は、このブログでも書いたが、物理でいえば、エントロピー増大の現象なので、止めることはできないし、後戻りすることもできない、不可逆な自然法則である。そして、カタストロフィー現象がある。突然に、不連続的に、破壊のような現象が起きる。よく知られているが、地震の発生は、地層のずれが、ある限界値を超えて跳ね返ることが原因だが、いつ起きるという予測はできない。確率的な予想は言えても、決定論的に断定できないことは、競馬の予想と大して変わらない。癌細胞は少しずつ大きくなっていき、脳梗塞も血管のつまりが徐々に大きくなっていくので、確率的に病気の予測はしても、脳の血管がいつ破裂するかは、カタストロフィクな現象なので、予測不可能だろう。つまり、人は誰でも自分を窮地に陥れる病原菌を抱えながら生きているのだが、時々その菌が身体の弱った個所から顔を出して警告をする。医師は、その兆候から患者に対処法を授けるのだが、その診断に身を任せるしかない。なるほど、人は生きているようで、生きていない。病原菌や遺伝子のなすがままなのか、と嘆息しても仕方がない。生きていれば、楽しいこともあるし、幸せと感じることもある。体内に潜んでいる病原菌のことなんか、ほっとけば良いだろう、菌に負ける時は、その時に対処しよう、と思うと、どこか新型コロナと同じように思えてきた。