昨日は、オンラインの取材と会議と対面の会議があった。何かとせわしかったが、年の瀬らしくて良い。一昨日も対面会議があったが、昨日の対面会議とかなり様子が違った。それはどちらが良い悪いということではなく、文化の違いである。一昨日は三菱グループという企業が母体の会議で、昨日は教育委員会という役所の会議である。役所というより、教育機関と言った方が違いが分かる。以下、財団と委員会と呼ぶが、財団は時間がきっちりしていて、今何を話せばよいのか、暗黙の了解で発言している。委員会のほうは、時間の概念が薄い。もう終わり頃になって、長い話をする委員がいるし、何を決めればいいのかが不明確である。財団は、何でも話せるが、これは先のブログでも書いたが、自由な雰囲気もあるだろうが、委員会は、どこか忖度が働いて、当たり障りのないよいうな言葉を探す。ただ、委員会は、内容はブログでは書けないが、教育の課題は微妙な問題を多く含んでいるので、はっきりできない性格がある。財団のミッションははっきりしていて、フローチャートで書けるような流れがあるが、委員会は、ミッションそのものが教育理念や考え方に左右されて、直線ではなく、どこからでも脇道に逸れやすい。先般のブログでも書いたが、学校での対面の研究発表会でも、同じように感じた。自分は、どこかせっかちなところがあって、時間を守るという感覚が強く、自分が司会をする時は、きっちり時間通り終わることを念頭に置いているので、財団的な感覚なのだろう。ただ、これからの時代は、教育も、時間を守る、忖度の文化を止める、明確な結論を出す、などの新しい教育様式、教育文化を作っていく必要があると感じた。教育と言えば、何でも許されるという甘い感覚が、世間とずれている、と書けば、お叱りを受けるかもしれない。