ふと気づくこと

昨日は月曜日、週の仕事初めだが、コロナ禍以降、あまりその感覚はない。定例のオンライン会議や夕方の研究会にも参加して、つつがなく過ごした。こうして一週間、一か月、一年が過ぎていくのだろうか。午前中は原稿や自分の仕事のために確保したい時間なので、なるべく会議などの仕事を入れないようにしているが、その理由は、誰でも実感するように、使う脳の部位が違うからである。ルーチンワークでは浅い部位で、原稿などでは深い部位で、というのは、感じ方であって、もちろん正確ではない。それ以外に、ふと感じることがある。その、ふとという感じ方が大切で、どこからか飛んできて、脳のどこかに、先の浅いとか深いとかとは別の部位に入ってくるようだ。先のブログでもかいたが、人が高等動物に進化していく途上で、その部位の感受性が弱くなっているような気がして、また論理的な思考ばかり発達して、相対的に直観力の発達が減衰していくような気がする。12月に入って、枕元にメモ用紙とペンを置いて、気付いたことをメモすることにした。誰でもやっているかもしれないが、眠気眼で、メモはできないだろうと思うかもしれないが、そうではない。灯りを点けなくても、メモは走り書きでできるし、朝起きたときに十分読める。それで助かったことが、何回かあった。思い違いや勘違いがあって、ビデオ収録の資料の中で、これでは誤って伝わる、と夢の中で気づいたが、何か命綱で救われたような気がした。3年間も同じ映像が流れると思うと、本当に冷や汗が出る思いだった。ふと気付くこと、それは天からの贈り物、大切にしたいし、救ってくれることもある。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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