昨日は、都内の研究指定校の成果発表会があって、珍しく対面での講演をした。今時、特に東京は感染者数が増加している昨今、教育委員会もよく了解したと思うが、さすがに、授業参観は許可されなかったが、研究指定を受けた学校は、本当に丁寧に、詳細に、水も漏らさぬような努力をしていることが、よく分かる。昨日より以前に、研究紀要のゲラ原稿を、自宅に送っていただいたが、そのゲラには修正箇所が手書きで書きこまれていたので、貴重な原稿なのにと思って恐縮したが、事前に目をお通しください、との添え書きがあった。学校とは、信じられないような、丁寧さと誠実さで満たされているのか、と、思う。昨日も、教育長や教育委員会などのお歴々も参列して、体育館が密にならないように参加者を配置して、予定通り発表会が進行した。が、やはり、挨拶や講評など長引くのが通例だが、自分の講演時間になったとき、15分程度遅れていたので、自分が調整するしかないと思い、スライドの半分くらいで話して、10分間を短縮した。予定の変更であるが、この前のビデオ収録のことを思い出して、苦笑した。収録の時は、ルールによって時間厳守であるが、このリアルな対面の講演では、自由自在に調整できるのか、と思って、苦笑したのである。しかし、司会者やその後のパネル討論会では、自分もそのパネルにも参加したが、始めの予定通りの進行で、また遅れたようだ。時間を守る、という感覚は、自分と世の中はどうも違うようだ。予定通りなど、この世の中にはない、とすれば、予定を捨てて、流れにそって応じるしかないのではないか、学校は丁寧で誠実で素晴らしい文化を持っているが、その場面の事態に応じることは、苦手のようだ。それは、守る、という文化が強いせいかもしれない。時の流れに身を任せ、ではなく、流れに応じる、ことであるが、瞬間瞬間に対応することの大切さを説いたのは、反省的実践家の著書の哲学者、ドナルド・ショーンであった。