場所や形式に意味はあるか

昨日は、都内でビデオオンデマンド用の収録があった。以前のブログにも書いたが、残りのビデオ撮りであるが、六本木ヒルズ近くのスタジオで、場所柄か、コロナ禍であっても、人通りが多く、どこか洒落た街並みで、都会に来たという感じがする。自分の事務所は溜池山王なので、距離は近い。ただ、つまらぬ話だが、この近くは昼食代が高い。だから事務所に通っていた頃は、なか卯の、うどんかそば、か、ローソンなどでパンかインスタントを買って事務所で食べる、という質素な食事だった。たまに、カレーライスやカツ丼やスパゲティなどの昼食もあるが、あまりボリュームがあると、午後の仕事で眠くなってしまう。75分の1本だけの収録だったのだが、10時から午後1時まで続いたが、早く帰らないと予定がずれるので、事務所にも寄らず、直行で帰宅した。六本木ヒルズの、確か27階あたりには、Google の日本支社があって、かつては行き来していたが、今は在宅勤務のようで、戸締りをしている、という。自分の事務所も、事務担当の女性は事務所に来ているが、近くまで来ても寄らないのは、もはや場所には愛着もなくなっているからだろう。事務所でも、パソコンがあれば十分に仕事ができるので、机は要らない。今は、大手の企業でも同じようだが、学校などでは、校長室などは大きな部屋であり、大学の教授室も、大きな机に応接セットなどが置いてある。自分は、応接セットは邪魔で嫌いなので、学生と一緒に資料を広げて議論できる大きなテーブルを置いていた。六本木あたりは、地価も家賃も高いが、そのような場所とか、机とか応接セットだとか、形だけの体裁は、意味を持たない時代になったのではないか。それにしがみついているのは、教育だけではないのか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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