昨日は何があったのか、手帳を見る。オンライン会議が2つあったが、あまり覚えていないのは、印象が薄いからだろう。寝ていても、夢の中なのか、あるいは考えているのか、気になることがあると頭に残るのは、誰でも経験している。しかし朝起きると、内容を忘れてしまうことが多い。それでも重要なことがあるかもしれない、と思って、今日からメモ帳を枕元に置くことにする。人は潜在的に何かを考えたり気にしたりしているが、氷が水面へ浮上するように、ときどき思い出したり気が付いたりする。あまり覚えていないのは、水面下にあるだけなので、平穏なのかもしれない、と思って安心するが、今朝は重要なことを思い出したので、このブログの後に、すぐにメールを出して対応したいと思う。それは、ほとんど思い違いの場合が多い。例えば、メールを出したのに返事が来ないのは何故だ、と気にして、相手がどこか不満に思っているのだろうか、などと考えるが、ネットいじめなどは、このような思い違いによることが多いのではないか、と思う。ふと思った。そうか、添付ファイルをパスワード付きで送ったが、添付ファイルは、場合によってはセキュリティでブロックされているかもしれない、などと考えれば、別の方法で送ったほうがいい、と気づく。ということは、大人にも子供にも、ICT社会で生きる知識が必要ではないだろうか。また、面倒なのでそのままにしておく、なども誤解を生む原因になる。自分も、このブログの後にすぐに対応しよう。相手も、自分のことを不満に思うかもしれないから。ネット社会では、知識と共に相手への気遣いも必要である。これも、経験しながら対応するしかないのだろうか。自分を振り返って、人間関係にトラブルが起きないように、対応し、善処し、その知恵を共有する時代のような気がする。