昨日のブログで、三島由紀夫のNHKスペシャルについて触れた。もう少し、補足する必要がある。三島由紀夫が自殺して、正確には割腹自殺という衝撃だったので、社会に大きなニュースになった。数年前に、北欧やロンドンの学校を訪問したことがあった。音楽が盛んで、どの子供も楽器を熱心に演奏しているので、何故だ、と聞いたら、ビートルズが生まれた国だよ、と答えたので、なるほどと思い、日本のカリキュラムにはないドラマの科目があったので、何故だ、と聞いたら、シェークスピアの生まれた国だよ、と答えたので、なるほどと思い、ついでに、007の映画も生まれた国だよ、とも答えたので、さらになるほど、と思い、そして、ジョークにも長けていることも知った。国際バカロレアの中に、知の理論、という科目があり、哲学的な思考を促す科目で、生徒が論文を書く、と思えばよいが、その論文のテーマが壁に貼ってある。我思う故に我あり、ではなく、我見る故に我あり、のタイトルの中学生の論文がある。デカルトはフランス生まれであるが、中学生にしては、ずいぶん高尚な内容を考察したのだと思った。たぶん、我観る故に我在り、の漢字を宛てた方がいいだろうと思うが、日本との違いに驚いた経験がある。日本のカリキュラムでは、音楽や美術は、高校入試に出ない、その他科目として軽視される科目である。まして、ドラマや哲学などは、意識すらしていない。文化が違う、disciplineが違う、どこか本質的な美を追求しているような気がして、日本人がこの欧米の人たちに、文化的に対抗できるのは何だろうか、と考えたとき、それは武士道しかないのだろうか、と思ったことがある。武士道は、美学でもある。自分が思う三島由紀夫論は、このようなイメージである。しかし、その美学を行動で示すのは、狂気か天才のなせる業かもしれない、つまり平凡ではない。だから凡人には、不可解である。