聴衆を引き付けるとは

昨日は月曜日で週の始まりだが、自分が所属する団体の定例の会議が、午後にオンラインであった。昨日は、その会議に後に、ブレーンストーミングをして、今後の方向性や新規プロジェクトなどについて話したが、前向きな話なので、議論が盛り上がる。議論する時、正解がある場合は学校における議論であり、正解がない場合は実社会における議論になる。世の中のことは正解がないのが通例だが、それでも知恵を絞って議論するのは、正解に近づきたいという意識があるからだろうか。あの人の意見は傾聴に値するという時、何が基準なのだろうか、とふと思う。政治家などの発言では、所属する党によって主張が異なるので、何が正解というわけではないが、それでもそれぞれの党には、論客がいて、聴衆を巻き込むので、どこか違いがあるのだろう。同じ内容を書いても、話しても、書き手や話し手によって、響きや影響や印象が異なるのは、何だろうか、と思うと、書き方や話し方ということになるのだろうか。そうだとすると、表面的な技の違いになってしまい、本質ではないような気がする。受け手に響くのは、例えば、昨日のブログで書いた小説などは、事件の展開の仕方や書き方に依存することが多く、さらに落語などでは、同じストーリでも話し手によって、全く違う。それは、エンターテイメントだから、と昨日のブログで書いた。聴衆を引き付ける講演とか、議論における論客などは、本質的な点で違うような気がする。自分には、まだ分からない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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