昨日も、オンライン審査で明け暮れた、が、前のブロブでも書いた通り、充実感があって、どこかその香りが体に残っていて、温泉の湯船にそっと浸かっていたい気持ちに似ているが、これで終わった。昨日も書いたが、質問をする側も答える側も、どこか真剣勝負のような感があって、その緊張感も今は懐かしい。丁々発止のようなやり取りは、審査だけに限らず、どこの世界でも同じだろう。先ほどメールを見たら、たぶん間違いメールだと思うが、人気お笑い芸人からFacebookの友達リクエストが来ていたが、承認しなかったが、TVタレントもコロナ禍で出演が少ないのではないか、と推測した。それは、あの丁々発止の緊張感が欲しかったのかもしれない。審査の専門家は、知識を俯瞰する力、メタ認知ができている、と書いたが、もっと言えば、詳細な知識も持っていて、それらの知識をつなげる知識がある、というより、そのメタの知識は、desciplineというか、概念というか、物理法則のような確固としてゆるぎない知識のようだ。そこに、いろいろな表面上の現象が紐づいていて、そのメタ知識で解釈したり、分析したりするように思える。ということは、審査でも仕事でもお笑い芸でも、そこに交わされる言葉は、背景に何かゆるぎない知識、それは物理法則のように公式として可視化できていないかもしれないが、何かがあって、その暗黙知が確かなものなので説得力があるのだろう。表面だけの会話なら、それは日常会話にすぎず、審査にもならず他人に見せるお笑い芸にもならないだろう。