忙しいということ

ホッと一息つくときがある。昨日は、忙しかったので、そのひと時が嬉しいが、その時間は、仕事から解放されているというより、追われているのだが、リラックスしている状態のような気がする。物理的な時間ではなく、精神的な時間によって、人は仕事がはかどったり、停滞したり、うまくいったり、雑になったりする。昨日は、久しぶりに対面での仕事があって、都内に出かけたが、立場が上になる人ほど、多くのことに気を配らなければならないので、忙しそうで、対応した人は毎日通勤しているようだ。しかし、どこかゆとりも感じられる打ち合わせで、久しぶりの会話を楽しむ余裕がある。それにしても、日本人はよく仕事をして、しかも丁寧で、昨日の夕方のうち合わせの記録が、今朝のメールで届いていた。しかも、すべてに目配りした内容だったので、敬服した。忙しい中でも、丁寧な文章を見ると、先に書いた、時間がないから、という、物理的な時間の量はあまり関係ないようで、仕事をこなす人の気持ちの持ち方、というか、取り組み方に依存するようだ。忙しい中に、丁寧で、余裕を持って、ということは、矛盾しない。むしろ、そのほうが自然のような気がする。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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