忙中閑あり

昨日は久しぶりに出かける用事があって、電車に乗った。コロカ感染が怖いという意識はまるでないが、電車に乗って帰ってくると、その時間ロスが大きいのが気になる。特に9月10月にかけて、仕事が重なってしまい、内心ハラハラしている。締め切りに間に合うだろうか、と不安になるのだろうか、夜中に目が覚めて寝付かれないで、今朝は早朝に起きて机に向かった。すると不思議なもので、少しでも進んで先が見えてくると、落ち着いて軽い気分になる。昨日は、秋そのものの天気で、青空が太陽の光を一杯送ってくれて、草木も輝いていた。夕方に近くなると、草や木やベンチも影が長くなって、ちょうどよい気温で気持ちもリラックスする。秋の日の図書館のノートとインクの匂い、という歌謡曲があったが、その通りで、女学生などがカバンやリュックを持って家路に向かう様子は、秋に相応しい。枯草の色は、すでに役割を終えた色で、人に安らぎを与える。小さな庭だが、土を枯草で覆うと、正真正銘の秋を感じる。人は、暇なら暇で、忙しければ忙しいで、ストレスを感じるようで、どうも我儘な動物らしい。自然に寄り添うことができれば、気持ちも軽くなるのに、と思うが、凡人には難しい。それでも忙中閑あり、の例え通り、庭の手入れをするとか、散歩をするとか、などで、脳を切り替えると、また前に進んでいくらしい。昔から、人はそのようにして、困ったとか、無理だと言いながら、自然に慰められながら、進んでいったのだろう。秋は、風や草花、そして果物など、自然の恵みに満ちている。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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