習慣ということ

昨日は日曜日で、自由な時間の過ごし方をしているが、午前中は書斎で仕事をするのが、毎日の習慣なので、朝、歯磨きをするのと同じである。書斎はコロナ禍の現在では自分の仕事場になっているので、2階の窓から見える光景に馴染んでいる。ある雑誌の編集委員をしていて、その編集後記の最後に、季節のことに触れているが、ほとんどが窓から見える季節感である。空の様子、木々や花の様子、遠くに見えるマンションの様子など、毎日同じようで、どこか違う光景である。昔ある小学校で毎日登校する時に見る天気について、子供たちに書かせた先生がいた。そのクラスの生徒だった子供が、大学生になったとき、その時の感想を書いた。毎日見る空は、毎日違って見えるようになった、あれは、見ているのではなく、感じているのだ、それは目が見ているのではなく、脳や心が感じることなので、その感じたことを文章にする時、いろいろな表現方法があることを知った。その学生は、自分が非常勤講師をしたある大学の講義の中で、印象に残った授業を書かせたが、その中の1人だった。自分も、その感想文がまだ脳に残っている、というのは、その学生が、天気について書いた習慣で、文章に表現することに興味を持ち、中学校の国語の教師を目指すようになったからである。その学生が本当に教師になったのかどうか知らないが、子供の時の印象は、人生を支配するほど大きなものだ。昨日は、1ヵ月に1回のお墓参りの日で、無くなった両親にいろいろ報告した。これも、習慣である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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