電車の中の読書

昨日は、久しぶりに都心に行った。電車に乗って、読み本を持ってくるのを忘れたのに気が付いて、帰りは池袋の書店に寄って、文庫本を買った。久しぶりに電車で読む文庫本は、楽しい。何か浮世を忘れるような気持がするが、それは現実世界から離れた作り事だからからか、その中に吸い込まれるようで、時間を忘れる。小説家とはなんとすごい才能の持ち主か、と驚嘆する。読み手を魅了するのは、現実世界から離れた、というよりも、まるで現実世界の出来事のようだから、離れがたいのだろうか、文章が生き物のようで、情景がすべて浮かんでくる。落語も聞き手を引き付け、ドラマも歌もすべて人を引きつけることを思えば、人を引き付けることが才能があるということか、とあまり意味のないことを考えた。ただ、現実に人に会って話をすると、何か通じたとか、あれは言わなければよかったとか、しかしやはり会って良かったとか、いろいろな思いが生じるのは、相手から言葉以上のものを受け取ったり、こちらも伝えたり、というダイナミックなやり取りだからだろうか。現実は、テレビドラマのように結末が決まっているわけではないので、その現実の仕事の成功失敗は、予見できず予想できず、先が見えない世界である。そのような世界を、小説でもドラマでも表現して人を引き付けるのは、やはり凄い才能である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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