お爺さんの修理

昨日もオンライン審査で気を遣い、無事に終わったが、仕事をするとか生活するということは、このようなことなのだろう。脳と心を使ってなんとか乗り切ることで時間が過ぎていくが、その時間のことは夢中になっているので忘れているが、後で振り返ると、ほっとした安堵感が起きて、ゆるやかな気持ちになる。そのような一段落ついたときに、散歩したりジョギングなどをするが、いろいろな風景が目につく。散歩の途中、お爺さんが、アコーデオンドアを修理している。見ると、車輪と金具のところの不具合を治しているのだが、なかなか手際が良く、と言っても、素人の自分にはそれがうまいのかどうかわからない。しかし、素人ではないような感じだったので、たぶん若い頃は、技術屋さんだったのではないか。なによりも、その真剣な眼差しが、プロだったことを物語っている。そして、思った。嬉しいのではないのか、家族の誰もできない、技術的な仕事で役立っている、それは至福のひと時であったろう。人はすべて同じかもしれない。自分がプロと自称する分野で仕事ができて、多少でも役立てば、それは至福な時間なのだ。だから、オンライン審査でも、傍から見れば、先のお爺さんと同じ表情をしているかもしれない、画面をにらんで、唸っているのかもしれない、少なくともぼんやりしているのではない、そして終わってみて、良かったという感慨が出てくる。生活する、仕事をする、それはこのような時間の積み重ねなのだろう。今日は土曜日だが、午後はオンラインで詰まっているが、それで良い。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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