時々、朝の時間に、自宅の前の通りを女の子が通る。そして、大きな声で歌を歌っていく。その歌声が聞こえると、私たち老夫婦は、手を止めて、その歌声を聞く。何か幸せの歌のように聞こえるからだ。何も屈託がなく、何も心配がなく、何も不安がないような歌声は、爽やかな一日が始まるような、門出の歌のように聞こえる。そして、私たちは、今日も聞けた、と言って、おみくじで大吉を当てたような気持ちになる。たぶん、この子には、何も邪気がなく、きれいな心の持ち主だろう。周囲に、その幸せを分けて歩いているようだ。先のブログで書いたように、朝ドラの古関裕而の自叙伝が放送されているが、彼の作曲した、船頭可愛や、に惹かれて、口ずさむようになった。ある時、居間で大声で歌ったら、家内に、外に漏れている、近所迷惑だから、と釘をさされた。なるほど、歌う人によって、幸せを運ぶのか、迷惑なのか、に分かれる。それ以来、大きな声では歌わない。しかし、歌いたい時は、気持ちがいい時なのだ。コロナ禍以降、いろいろな経験をしたが、自宅での昼食時間に朝ドラのお昼版を見るのも、ジョギングをするのも、遠隔会議が常連になったのも、すべて自分には適している。歌うことは、良いことだ。