コロナ禍の影響で、番組制作ができないので、過去の番組の再放送が多いのは、仕方がない。自分はあまりテレビを見ない方だが、夕食時は音がないと寂しいので、視聴することにしているが、昨日は録画番組だった。歴史秘話ヒストリアが好きで、NHKの取材に敬意を表することが多い。昨日は、愛新覚羅溥傑と松下幸之助の夫婦愛のストーリだった。溥傑と浩の話は、よく本で読んだし、二人とも純粋な人だったので、溥傑は浩と一緒になって、良き人生だったのではないか、と思う。松下幸之助さんは、幸之助館が大阪門真のパナソニック本社にあって、パソニック教育財団の理事会がそこで開かれた時に、案内してもらったので親近感がある。このブログで言いたいことは、夫婦愛のことではない。この時代に生きた人たちは、どこか日本人としての生き方を忠実に守ったような気がする。溥傑も陸軍に勤めていた軍人なので、日本人としての精神構造を持っているような気がするし、浩は華族の出身で、この時代の良き日本人教育を受けた人である。幸之助さんは、世界的企業を一代で築いたが、従業員を決して解雇しないとか、日本人としての美学を持っているような気がする。言いたいことは、何か立派な業績を上げてきた人は、美学を持っている、あるいは備わっている、自分は日本人しか知らないので、日本人美学のような精神構造を持っているのではないか、ということである。景気が悪くなれば解雇するのは、仕方がないが当然だと言う考えは、論理的であるが、美学ではない。学校における教科の学習は、自然科学、人文科学、社会科学のように、すべて科学なので、根底に論理的思考がある。西洋哲学の流れを汲んでいると言えるが、美学は逆であり、行為や思考が美しいかどうかの基準なので、別の世界と言ってもよいだろう。近代社会は、論理によって作られて成功したが、その物語は今後続くかどうか不安である。コロナ禍のような、これからの世界が見えない時代では、論理ではなく美学を基礎にするほうが良いのではないか、と思った。ただ、これは自分の独り言レベルの言説である。