昨日のブログで、古関裕而さんの業績について書いた。テレビの朝ドラでもやっていたが、初めてのヒットは、船頭可愛や、という哀愁溢れる歌謡曲であった。歌詞の古風な日本風の言葉が、曲によくマッチして、誰もが口ずさむような名曲だった。しかし、昨日も書いたように、彼の主な業績は、応援歌とか行進曲とか、歌謡曲でもあっても、長崎の鐘のように、日本人のひだに触れるような古風な旋律というより、クラシックなどの正統的音楽のジャンルのような印象がある。音楽に素人の自分が書くのは恐縮だが、そんな気がする。ということは、古関さんは、どのジャンルも器用にこなしてきたのかもしれない。この言葉は、語弊がある。どのジャンルも、彼の才能を活かすことができ、すべて一生懸命だったのだろう。人が口ずさみ共鳴する音楽は、時代や社会の変化と共に、変わっていく。その変化に対応するほうが、自然な生き方なのであろう。世の人は、どうしてもあの人はこうだ、と決めたがるが、古関さんは、他人が決める範囲を超えて仕事をしたので、大きな業績を上げたのであろう。むしろ、その方が優れた仕事ができるのかもしれない。今、STEAMの用語が教育では注目されている。元々は、社会における問題解決には、科学(S)や数学(M)や技術(T)や工学(E)や芸術(A)などを融合する内容を学習すべきだという理念から、出発していると解釈できるが、むしろ異分野の考え方を取り入れるほうが、より深く、より幅広く、より現実に即した問題解決ができるのではないか、と解釈できる。もし、古関さんが、あるジャンルだけに固執したら、これほど活躍できなかったであろう。私たちも、いろいろなことに興味を持ち、別の角度から見る、という広い視野を持ちたい。ちなみに、自分の専門分野である教育工学は、教育と工学の2つの用語が入っている。これは、良い言葉である。