運が良いとは

昨夜、zoomでのある研究会に参加した。大人になって役立つ身に付けておきたいことは、というテーマで、主に高校生と教員との自由討論であったが、夜遅いので途中で抜けた。夜と言っても9時だったが、それから夕食なので、普段は7時からなので、自分としてはかなり遅い夕食である。高校生は、英語を勉強しておいたほうがいいのか、などの高校生らしい質問を持っていたようだが、大人のほうはもっと深い、というか処世術のような哲学的な話であった。だから少し噛み合わない気もしたが、視点が違うので、それでよいと思う。自分の場合は、他人にもよく言っているので、繰り返すが、能力はないが運だけで生きてきた、と思う。すると、運も実力の内、と言って気を遣ってくれるが、どうもそうとは思えない。確かに、実力ではなく運なのである。しかし、運を得る方法はないので、あっても霊感師のような話になるので、因果関係で説明できない。また高校生に話しても、だから勉強しなくてもいいのだ、という結論になると、参加している先生方からも叱られるので、黙って聞いていた。果たして、運とはどのようなものなのか、タイミングが良い、とか、欲しいものが入手できるとか、などかもしれないが、なんとなくラッキーと思うことだろう。以前のブログでも書いたが、すべて都合の良いことばかり起きてくることはないから、悪い出来事は忘れて、良いことだけ記憶していれば、自分は運がいいのだと、思うのだろう。ということは、忘れることと、自分の思い込みだけ、という詰まらない結果になる。高校生に何も話さなくて良かった。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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