今日は都心に出かけて、いくつかの会議や打ち合わせなどがあり、以前と同じスケージュールになって、やや早めに帰宅したが、なんとなく疲れる。電車に乗るだけでも、マスクをしているだけでも、ジャケットを着ているだけでも、革靴を履くだけでも、どこか緊張しているのか、疲れるようだ。難しいことは何もないのだが、会議では、立場によって思惑が錯綜するだろうし、少し眉を寄せるような話題もあるだろうし、仕事とは落語や漫才を聞くのと訳が違うので、疲れるのは当たり前である。そういえば、企業人も役人もすべてタフだなと思うことがある。コロナ禍をモノともせず、何か田中角栄のような馬力のある人達ばかりだった。感心し敬服し、そしてどこか疲れる。帰宅した時夕方だったが、珍しく曇り空だが小雨も降らず、西の空は雲が明るく見えるので、ジョギングをしながら公園に行った。公園には、幼子を連れた若い夫婦、キャッチボールをする若者、それもかなり飛距離が長いので見とれてしまう、深緑のきれいな人工芝のサッカー場で、真っ赤なサッカーウェアを来た子供たちが走っている、どれをとっても、絵になる。自分のような老人もジョギングで仲間に入っているが、周りのエネルギーの溢れた人たちとは、年齢が違うのだが違和感はない。都内の会議と違って、その時の気持ちを表現するなら、快適の一言だろう。やはり仕事と余暇は性質が違うのだろうか。どちらも精力的な光景である。都心では、見事な仕事ぶりなので感心し敬服し、一方公園では、すべての光景がよく似あっていて、自分もそこに溶け込んで一員となれる。なるほど、年をとると言うことは、こういうことかもしれない。