眼科の検査

今日は都心に眼科の検診に行った。それだけのために、電車に乗って出かけたが、本心はためらった。都心の眼科は、当然ながら自分が所属する事務所に近いからという理由だが、コロナ禍のために事情が変わった。電話で予約を断ろうと思ったが、午前の予約なので、すでに遅しであった。明後日にはどうしても都心に行かなければならない会議があるので、その時に変更したかったが、これも時間がない。気が付いたのが遅かった。こんな時誰でも、今日はついていない、と思う。が、行って良かった。実は、都内から地元の眼科に変える予定を、話すつもりだった。つまり最後の検診だった。眼科の検診のためだけに都内に出かけるのは、眼科と言えども医療機関なので他よりは密であり、何より効率が悪いので、どう考えても得策ではない。検査はいつもながらの簡単な眼圧や視力検査で、何事もなく数値もよく、医師からの診断を受けて帰宅する、いつもの通りである。そして事情を話し、地元の眼科に移りたいので紹介状を、と言って、それから何気なく話が続いた。帰ろうとすると、何となく話足りないような医師の口ぶりで、話を引き延ばした。薬屋に行って薬をもらうとき、ふと気が付いた。医師にとって患者は、学校の教師が受けもつ子供のような存在かもしれないと。目の検査結果の数値が良かったので、自分のことのように、いい数値でいいですね、という言い方が、確かに教師のような言い方に聞こえた。自分は、自分の都合だけで考えていたが、医師の世界では、相手の良くなることを目的にして判断するのかもしれない、いや、確かにそうなのだ、教師と同じなのだ、という当たり前のことに気が付いた。今日は、眼科検診のためだけに都心に行って良かった。感覚の鈍い自分が情けない。長い間、お世話になって本当に有難い。目が見えるのは医師のお蔭である。忘れていた。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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