昨夜テレビの録画番組を見た。自分が気に入ってる番組は、歴史秘話ヒストリアである。1時間以内なので、ちょうど良い時間で、夕食後のくつろいだ一時が適している。何故か、昨日は植木等さんのスーダラ節の録画だった。これが何故、歴史秘話なのか分からなかったが、見ている内に意図が伝わってきた。植木さんは、お寺の出身で謹厳実直な精神の持ち主だったらしい。その植木さんがどうしてこの世界に入ったのか、私にはその真意は定かではなかったが、スーダラ節の歌をレコードにする時、彼の気持ちと歌のメッセージとのギャップに悩み葛藤したらしい。やがて、歌は大ヒットして、サラリーマンの無責任時代という社会風潮まで創り出していった。そのことは植木さんも予見していたので、葛藤があったのであろう。それは日本の高度成長と歩調を合わせるかのように、右肩上がりのテレビや映画での人気が続いた。しかし、それはバブル崩壊を境にして、急激に下降した。無責任時代のような呑気な時代でないことは、誰でも知っている。元々植木さんは、謹厳で真っすぐに生きることを信条とする心の持ち主だったので、これからは自分に合った生き方ができると思い、これまでとは真逆な映画を作った。が、誰もがそっぽを向いた。まったく売れなかったのだ。植木さんに貼られたレッテルは、容易に変えることはできなかった。そして、スーダラ節を友としながら80歳の生を全うした、という秘話であった。植木さんは、たぶん悟ったのだろう。変えることができないなら、それが例え自分の心に反するとしても、このレッテルと共に生き続けようと。考えてみれば、ほとんどの芸能人は同じかもしれない。いや、私たちも同じなのかも知れない。